メッセージ

文化人類学の目的は、異文化を理解することにあるというイメージがあると思いますが、それは誤解です。文化人類学の目的は、異文化理解を通じて、この多様な生き物である人類、すなわち私たち自身について理解することにあります。異文化理解は、そのための手段であって目的ではないのです。この異文化理解の基本となる、「自分たちと異なる文化に学ぶべき価値がある」という考え方が誕生したのは、じつは比較的新しく20世紀以降のことです。この、今では当たり前のようにも思える考え方は「文化相対主義」といいます。

では、「文化相対主義」が必要とされるのは、どのような現場でしょうか?それはさまざまなメディアで紹介される風変わりで、安全な自宅から眺めることができる異文化との接触の場ではないでしょう。文化相対主義は、あなたには許しがたい価値観や慣習をもつ人びと共存せざるを得ない現場において必要とされる考え方です。つまり、文化相対主義は「知るは易し、おこなうは難し」なのです。

わたしたちは様々な他者とともに生きています。そのなかには私たちがこれまで生きてきた経験からは簡単に理解したり共感することが難しい他者もいます。無国籍者・ホームレス・先住民・障がい者・性的マイノリティといった、現代の「隣にいる他者」との共生はいかに可能なのでしょうか。また私はアフリカでの難民支援、平和構築や持続的発展にむけた取り組みをおこなっていますが、ケニアの人びとにとって、隣国のソマリアから来る夥しい数の難民は、安易な同情や共感では解決し得ない、しかし共存しなければならない他者です。そしてそれは、ケニアで暮らさざるを得ないソマリアの人びとにとっても同様です。

わたしは、このような「隣にいる他者」との共生をめぐる問題の解決を目指して、ケニア・ウガンダ・南スーダンあるいは徳島県の美波町やつるぎ町に通い続けています。それは「隣にいる他者」同士の共存をめぐる課題解決は、さまざまな当事者の視点を理解することによってはじめて可能となるからです。

わたしは地方国立大学出身です。大学に入ってから出会ったフィールドワークに魅せられ、京都大学の大学院に進学することにしました。その後も日本やアフリカでのフィールドワークの過程で異なる価値観に触れるなかで、自分の常識が、多様な価値観の一つにすぎないことに気づかされました。さまざまな文脈において新たな価値観の創出が求められている現在、あらためて現場から考える方法論はますます重要になっています。大学は冒険や失敗が許される特別な場所です。どんなものでもいい、自分の好きな「現場」に飛び出して、そこでの経験をもとに新たな価値を模索してください。グッド・ラック!